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言葉にできなコト

言葉にできなコト 集団社会の中でしか生きられない我々は、周囲の人たちとコミュニケーションをとりながら暮らすことを求められる。仮に言葉の通じない外国に身を置いた場合であっても、不完全ながらも、身振り手振りで自分の意思を伝え、他人の主張や気持ちを理解しようと努める。そして、時間はかかるが、結果、なんとなく伝わってしまうものだ。なぜなら、それは、人が生きて行くために必要不可欠なものだからだ。ある意味コミュニケーションをとろうとする行動というのは、生存本能に近いものがあるのかもしれない。そして、その生存本能を効率的に満たすための手段として「言葉」がある。でも、言葉ですら決して完全なものではない。
 言葉によるコミュニケーションは、お互い同じ日本語を使っていたとしても、成立しない事も多々見受けられる。
 北海道の人が東京で暮らした際に、一度は体験する事件?を例にしてみると・・・。
北海道の人:テーブルの上の雑誌、もう必要ないから投げといてー。
東京の人:テーブルの上の雑誌を投げるの?なんで?危なくない?ってか、投げる事になんか意味あるの?
北海道の人:あ、ごめんごめん、捨てといて・・・って事だよ。
 これは、本当によく聞く、北海道の方言が原因となる事件(笑)だ。
 標準語では「投げる=投げる」であるのに対して、北海道弁では、「投げる」には「捨てる」という意味も持ち合わせているのがこの事件?の発端である。
 同じ日本語を使いつつ、伝えるべきコトが明確であるにもかかわらず、方言という亜種の作用によっての勘違いがこのケースになるのだが、これは、言葉の持つ(方言を含む)複数の意味さえ理解していれば、解決できる問題だ。一度、痛い目や恥ずかしい目に合えば、意外とすんなり身に付く。
 さてさて、面倒なのはココから。みなさん、「自分の気持ちや考えを正確に言葉に代える」コトってうまく出来ますか?
 月に一度、このコーナーで試行錯誤しながら文字を並べ立ててはいるものの、かける時間&労力がハンパじゃない。で、出来上がった文章を読み返し「自分が書きたかった事、伝わってるだろうか」という疑問が消える事はない。
 もっともっと色々な言葉を身につけて、表現力が高まれば、うまくできるのだろうが、正直難しいことこの上ない作業だ。書きたい事が伝わらないだけならまだしも、間違って伝わってしまう事だってある。その原因と責任は自分にあるのは間違いも、逃げようも無い現実であり仕方の無い事。諦めて訓練あるのみ。
 ただ、中には、何をどうコネクリ回しても言葉にできないコトもある。このコーナーのように文字のみでしか伝える手段が無い場所はなおさら。せめて、声色・身振り手振り・間・・・等が使える会話なら幾分マシなような気もするが、言葉にできないコトを会話の中で無理矢理表現しようとして、過去大失敗した経験も数えきれない。相手を傷つけてしまったり、自分が傷ついたり・・・。
 情けない話だが、そんなこんなで文章や会話の中で、「言葉にできない」と思ったら、無理をしないという選択肢を選ぶことも少なくない。
 「東北地方太平洋沖地震」ボクの中では、今、言葉にできないコトの最たるものだ。自分は運良く直接的被害の無い場所にたまたま居ただけの事。やさしい言葉も、励ます言葉も、悲しむ言葉も・・・情けないほど、何も出て来ない。僕はまた無理をしないという選択肢を選んでしまっている。 
(TOYA)
  
TARUPN FREE No80(2011年4月号掲載)コラム:冒頭から暴投

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