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期待

期待そんな目で見ないでくれ。僕に何を期待しているのかは、おおよそ検討がつくけどさ、できる事と出来ない事ってあるだろ?そもそも、「期待に応えます」なんて軽々しく言えないし・・・。

 子供の頃「自分がされて嫌な事は、他の人にも、してはいけない」と教わって育った。だからという訳ではではないが、いつの間にか「自分が重荷に感じるような期待は、人にもしてはいけないのだ」という「ルール」が自分の中に出来上がっていた。でも、まったく何にも期待しない訳じゃない。オリンピックの中継を見ると、日本の勝利を期待してしまうし、今日の晩ご飯にも期待してしまう。明らかな矛盾発見。
 ここに生じる「矛盾」を言い訳がましく整理すると、どうやら、自分の中の「ルール」には「過度ではなく適度な期待である事、そして、その期待が相手に伝わらなければ可」という条項があるようだ。
 相手にコチラの期待が伝わってしまった時点で、その人はプレッシャーを感じてしまうだろう。でも、相手がコチラの期待にまったく気がつかなければ、いらぬプレッシャーを与える事はない。(プレッシャーに強い人・プレッシャーを原動力にできる人には関係の無い話。ちなみに僕は・・・)。
 そうはいっても、誰かが誰かに何かを期待してしまうのは、避けられない。魚屋さんは漁師さんに美味しい魚をたくさん捕って欲しいと期待するし、病気の人は、お医者さんに対して「適切な治療」を期待する。
 商売や事業は、そもそもだれかの期待に応えるからこそ成立するもんだしね。
 困ってしまうのは、適度な期待どころか、自分にはできない事・したくない事を期待された時。例えば誰かが僕に「面白そうだから、バンジージャンプ飛んで欲しい」と期待したとする。残念ながら僕は、その期待には応えられないと即答するだろう。だって、100%安全だなんて、わかんないでしょ?留め具が故障してるかもしれないし、ゴムが劣化してるかもしれない。僕が飛んだ瞬間、地殻変動が起きて、地面が盛り上がってくるかもしれない。何かあったら死んじゃうよ?ってゆうか、そもそも痛いのは嫌だからね。「面白そうだから」程度の理由では、命を危険に晒すことはできない。
 でも「バンジーを・・・」と期待している人が誘拐犯で、「バンジー飛んだら、子供の命だけは助けてやる」と言ったらどうだろう。たぶん、飛んじゃうんだろうな、自分(これは、もう、期待というよりは、要求・脅迫だね)。
 期待に応えるための行動をとるかとらないかの結論は、そもそもそれが、自分がしたい事であるかどうか、そして、それが自分に可能な事かどうか、更には、その期待に応えて得られるもの、失うものは何か、等をそれぞれ秤にかけて、結論を出ださなくてはならない。どこかに無理があると、ストレスになるし、たぶん結果も出し難い。断った方が身のためだ。失敗すれば、全てを失う事だってある。
 バンジージャンプを飛んだら、ゴムが切れて、僕は即死。そのあとに、結局子供も・・・という事だってあり得るって事。
 だから、「期待に応えます」なんて軽々しく言えない。でも、期待に応えない限り未来も無い。
だから、そんな目で見ないでくれって。キャットフード、切れてしまってるのさ・・・今。明日にはきっと。
(TOYA)
  
TARUPN FREE No79(2011年3月号掲載)コラム:冒頭から暴投

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